平成28年3月17日_意見陳述~慎之介の母より

2016年(平成28年)3月17日
松山地方裁判所41号法廷
(事件番号:平成26年(わ)第81号)
論告求刑の前に意見陳述をさせていただきました。

以下、吉川優子の意見陳述です。

私にとって、平成24年7月20日は、ずっと昨日です。

私は、慎之介の死と向き合う時、おかあさーん!
と元気いっぱいな笑顔で走り寄って抱きついてくる慎之介の姿と、
一緒に過ごした楽しい日々を思い出し、深い悲しみを受止めます。

慎之介の最後の姿は、目は半開きで、
左肩に激しくぶつけたような黒い痕があり、肺は吸い込んだ水で満たされ、
顔や体にも、岩にぶつかりながら流されていったのだろうと思われる痣や傷が多くありました。
そんな痛ましい状態でありながらも、
まるで微笑んでいるかのような表情のまま、刻々と腐敗し、
火葬場で焼かれたあと、慎之介は、真白な骨になりました。
これが、慎之介に与えられた現実です。

絶望的な状態の中、
近藤被告、村上被告、越智被告たちの、理解に苦しむ対応が続きました。
近藤被告は、搬送先の病院で、慎之介の遺体を前に、まるで他人事のように、
「可哀そうに、冷たかったろうに」などと言い、
村上被告、越智被告らは、無言のまま立ち去りました。
次の日、近藤被告から、
「松山から、わざわざ理事長がお見えになっているから、お宅に伺いたい」
との連絡ありましたが、お断りをし、葬儀の案内をしました。
その後、私達から説明を求めるまで、被告たちからは、何の連絡もありませんでした。
事故の説明を求める私たちに対し、
村上被告は「本部が、保険会社が、話すなと言っている、警察が捜査している」などの理由で、
「何もお話しできない。自分が話すと、他の先生に迷惑がかかる」と言われたので、
「組織としてではなく、人として対応してください、マリア幼稚園に入園させたことを後悔させないでください」
と、お願いをしましたが、「気持ちは分かりますが」と、一蹴されました。
事故後10日目に、やっと開催された保護者会でも、
事故については話せないという説明から始まり、
保護者の質問に対し沈黙ばかりが続き、5時間もかかった末に、
私達保護者は、「一緒に、このマリア幼稚園を立てなおしましょう」とお願いをしましたが、
結局、被告らはこの思いにこたえてはくれませんでした。

私達は保護者と共に、事故の再発防止のため、独自に原因究明を行ってきましたが、
その調査への協力も裁判を理由に断られ、被告らとは、この刑事裁判で再会することになりました。
私は、先生達と一緒に向き合えるのではないかという、
針の孔ほどの希望を捨てきれずにいましたが、被告らは、
私と同様に、この事実と向き合えるような人間ではないという事を、
この裁判で確信し、失望いたしました。
裁判中、居眠りをしているように見えた近藤被告や、
飄々とメモをとる村上被告、越智被告らの、この場をやり過ごすことしか考えていない姿を見て、
私は、示される事実を、慎之介の声だと思い、全てを受止めていただけに、情けなくなりました。

慎之介は、結婚8年目に授かった大切な命でした。
平成18年9月7日、3660グラムの大きな男の子が産声をあげました。
大変なお産だったので、その声を聞いたとき、
慎之介が生きていることに心から安堵したのと同時に、
慎之介の母親として生きていく責任を深く実感しました。
翌年、慎之介が1歳の誕生日を迎える前に、
夫の転勤に伴い愛媛県西条市へ転居することになりました。
神奈川県出身の私達夫婦にとって、知らない土地での新しい生活と初めての育児は、
とても不安でしたが、慎之介を通じて、沢山の出会いに恵まれました。
子どもたちとの集団生活や、多年齢の子どもたちとのふれあいをさせたいと考え、
慎之介が3歳を迎える前に、幼稚園への入園を検討し始めました。
西条市内の幼稚園を全て見学し、通える範囲の幼稚園には、何度も通い、
子どもたちの様子や慎之介の様子を見て、
学校法人ロザリオ学園西条聖マリア幼稚園に、満三歳児入園をさせることを決めました。

平成22年10月の終わりに入園し、慎之介の担任は、年中まで村上玲子被告でした。
入園当初、慎之介は、「れいこせんせい」と言えず、「れんこせんせい」とか、
「れんこんせんせい」などと呼んでいました。
私は、そんな慎之介や子どもたちの成長を、先生や保護者と共に見守り、育てていると信じていました。
幼稚園を検討する際、どの幼稚園も「安全は確保されている」という事は大前提の上、見学をさせて頂きました。
幼稚園に子どもを通わせるという事は、保護者としての責任を、幼稚園の先生方に委ねることになります。
信頼していなければ、大切な我子の命を預けることなどできませんし、通わせることなどできません。

近藤被告、村上被告、越智被告は、
安全の事などは習っていない、教えてもらっていない、誰も教えてくれなかったとのことでしたが、
通常、社会人は、与えられた仕事に応じて、自分に足りない知識や技術を自ら習得し、
その責任を全うすることで、社会的信頼と評価を得ることが出来ます。
そして、職業人として、社会の中での役割を担うために、研鑽をつみ続けることは、
必要不可欠なことであって、当然の事だと理解しています。

被告らには、幼稚園教諭という職業人として、
大前提にあるはずの「子どもの命を守る」という理念が、大きく欠落していたことと、
社会人としても、あまりの非常識さと無知さ、無責任さが露呈し、
私は、このような人間を信頼し、慎之介の命を託していたのかと、愕然と致しました。
マリア幼稚園が大好きで、先生たちの事も大好きで、先生たちを純粋に信じていた慎之介は、
マリア幼稚園のお泊り保育で無残な溺死を経験し、未来を失いました。
被告らは、申し訳ないなどと謝罪していましたが、何も響きませんでした。

どんなに時が流れても、この凄惨な事実は、
何一つ変わることなく在り続け、許される日など、おとずれることはありません。
 
私や慎之介をはじめ、子どもたちや保護者の大半は、
ふれあいの里へ行った事はありませんでした。
初めて訪れる場所で、初めて親から離れ宿泊をするということは、
子どもたちにとって、大きな挑戦だったのです。

慎之介と毎日、一人で寝れるかな、お母さんいなくても大丈夫かなと、
お泊り保育について話をしていました。
慎之介は、お友達と一緒に寝ることを楽しみにしている様子でした。 
そして、お泊り保育当日、家を出る時に、慎之介は私にこう言いました。

 「おかあさん、ごめんね、きょう、ぼく、おとまりなんだ。
  さみしくない?ひとりでねれる?」

この日、夫は前日から熊本へ出張で留守したので、私を心配してくれたのだと思います。
私は慎之介を、ぎゅっと抱きしめてこたえました。

「慎ちゃん、ありがとう。お母さんは大丈夫。
 明日、お父さんと幼稚園にお迎えに行くからね。慎ちゃんは大丈夫かな。」

慎之介は、いつもの笑顔でこたえました。

「ぼくはだいじょうぶ!しゅっちょういってきます!」

これが、最後の会話となりました。
慎之介の葬儀では、子どもたちや保護者の方をはじめ多くの方が、
慎之介に最後のお別れをして下さいました。
近藤被告は当時のロザリオ学園の理事長や関係者と、
いつの間にか、参列者の席に堂々と座っている姿がありました。
村上被告、越智被告も、他の教諭らと共に参列していましたが、何の挨拶もありませんでした。

夫が、葬儀の最後に、参列者の皆さんへ挨拶をしました。

「なんでぼく、死んじゃったんだろうと、慎之介が一番びっくりしていると思います。
 私は、山林事業に携わっており、自然に対する知識もあるので、
 このような形で息子を失い、とても悔しく思います。
 家族でプールや川や海へ行くときは、ライフジャケットやアームヘルパーをつけて遊んでいました。
 このような事故が二度と起きないためにも、私は、事故の原因究明を徹底的に行います」

この言葉にこたえてくれたのは、保護者と子ども達でした。

葬儀の次の日、私達が、現場へ向かい、手探り状態で原因究明を始めていた時に、
当時の保護者会の会長さんから、子どもたちの記憶が薄れてしまう前に、
子どもたちから話を聞いて、事故の体験レポートをつくりたいという連絡を受けました。
保護者の皆さんたちは、たった一日で、現場で検証するための準備をしていました。

卒園児の保護者の方や、他の学年の保護者の方をはじめ、
ふれあいの里のスタッフの方々や消防団の方、通報してくださった観光客の方など、
多くの方が、この事故の原因究明に協力をして下さいました。
子ども達の中には、慎之介の死について自分を責めたり、
恐怖心から、夜眠れなくなり、泣き出しだしてしまう子や、
お泊り保育には行っていないと、心を閉ざした子もいました。
あの日の事を、急に、話しだす子どもたちもいます。
慎之介も唇は真っ青でしたが、寒がっていたお友達に「だいじょうぶ?」と声をかけていたことなど、
最後に交わしたと思われる会話を聞きました。

子どもたちは、全てを見ています。
川の様子、友達が流されていく様子、先生たちの会話や行動、危険に晒されながらも助かった事、
一緒にいた慎之介が死んだという事は、子ども達が経験した、消せることのできない悲惨な事実なのです。

そして、大人たちがこの事件と事実に、
どのような姿勢で、どのように向きあったのかを、幼くともしっかりと見つめています。

子ども達に、慎之介のような経験をさせてはなりません。
不幸で仕方なかった事故、失われても仕方ない命など、何処にも存在していません。
事故や傷害は、仕方ないと諦めるものではなく、人智を尽くして未然に防ぐものである、
という理解は、一般企業や先進国では常識となっています。

子どもは、一人の人であり、社会にあたたかく向かい入れること、
その命を守るということは大人の責務です。
大人に守られるということは、子どもの特権なのです。

子どもたちが、大人の無知や無責任の犠牲にならないために、
立場を超えて、
子どもたちの命を守ることを、考えていただきたいと思います。
この事件の教訓が活かされることを心から願います。

以上です。