事故・事件後対応

事故・事件後対応

2012年7月20日からの事件後対応を、時系列で記録していました。
安全危機管理・対策だけでなく、被害者・遺族・保護者への事件後対応の在り方にも
大きな問題点が多々見られ、組織としての在り方を考えさせられます。
このような対応・愚行が二度と繰り返されないことを心から願います。

事故・事件後の対応記録

H24年7月20日~

記録:吉川優子

7月20日 村上玲子先生(当時)から電話 16時半携帯電話に連絡がくる「お母さん落ち着いて聞いてください。慎之介君が鉄砲水に流されました」

友人に電話を代わってもらい、搬送先病院へ向かう。

7月20日 病院にて 警察の方が待っていて幼稚園の職員は誰もいなかった。臨終確定後、警察から今回は業務上過失致死の容疑で捜査に入っています。増水の原因も含め調べます。と説明される。

遅れてきた教諭たちは、パニックとうなだれているだけで、謝罪も説明もない。

近藤恵津子元園長だけは「川の中で冷たかったろうに」などと言っていた。

7月21日 近藤恵津子元園長から電話

教諭たちは近藤恵津子元園長とは別に
マンションへ

近藤恵津子元園長・レチョン理事長・お詫びに行きたい。「理事長が来てるので伺いたい」と電話が来る近藤恵津子元園長に、事故報告書なり一人一人レポートを作成し、説明するよう依頼しお断りする。

教諭たちは近藤恵津子元園長とは別に、マンションまで来たがお引き取り願う

7月22日 慎之介 お別れ会 教諭ら参列
7月23日 連絡なし
7月24日 保護者とふれあいの里にて検証 警察の現場説明を聞いた後、子供たちの証言をもとに検証。その後、救助して下さったスタッフk氏、i氏から話を聞く。
15時ごろ
近藤恵津子元園長から電話
保護者説明会を開きたいので、事情を説明したい
慎之介は死んでいるのに、なぜ、その重大さがわからないのか。本来、事故報告書なりを作成し、説明し謝罪するのが常識。

夫が第3者をたててきちんと話をしたい旨伝え断る。

レポートは各自作成中とのこと(のちに嘘であることが判明)

今後の窓口は村上玲子先生(当時)でと、近藤恵津子元園長から言われる

16時ごろ 
吉川優子から
幼稚園へ電話
私は話を聞きたかったので、村上玲子先生(当時)に30分後説明に来てほしいと伝える
16時半ごろ 
村上玲子先生(当時)から
本部と連絡が取れないので伺えない
7月25日 15時ごろ 
村上玲子先生(当時)から電話
夫:きちんとした報告書と一緒に事故説明をしてほしい
村上:できない。書面では渡せない。
夫:では、話をこちらでメモをする
村上:それも、できません。本部が、警察が、保険会社が・・・という理由でお話しできない。
現在、警察に取り調べ中のため話せない。自分の行動一つ一つの発言が他の先生に迷惑がかかる。。
村上:うちに話す前に説明会を開いてもよいですか。。
夫:それは筋が違いすぎるだろう。
何の回答も得られず電話を切る。
電話を切った後すぐに
吉川優子から
村上玲子先生(当時)へ電話
組織である前に人として話してほしい。マリア幼稚園に入園させたことを後悔させないでほしい。お願いしますと訴える
19時ごろ
村上玲子先生(当時)
吉川自宅マンションへ
村上玲子先生(当時)がインターフォン越しで本部と連絡とれませんでした。話せません。
21時ごろ
担任寺西佳代子先生(当時)に電話
村上玲子先生(当時)に話したことと同じことを訴える 「人として対応してほしい」
7月26日 9時
幼稚園へ
吉川優子から電話
今日の夕方に説明に来てほしいとお願いし、話にくることを約束。
16時 8人の教諭たちが全員で、マンション下のエントランスでうなだれていた。午前中は、お話する予定でいましたが、31名全員の保護者と一緒に聞いていただくことが

一番誠意のあることだとみんなで考えました。

今日は、お話しできません。申し訳ございません。

お父さんに言われて初めてことの重大さに気がつきました。

レポート、作っておらず。少しずつやっている。と発言。

7月28日 10時 
保護者説明会
8人全員で一番誠意ある対応だと考えた説明会沈黙でやり過ごそうとする容疑者たち。時間だけが過ぎていき5時間に及んだ。レチョン前理事長「お詫びに行こうと思ったが断ったのはそちら。残念」と発言。

説明会を開くのが遅いという保護者の意見に対し近藤恵津子元園長

「1週間でも早いと思いました」と発言。

事故報告書についてのレポート提出を31日までに行うことを厳しく促したが

レチョン容疑者の顔色を伺いながら、20分以上かけて提出する意思を示した。

7月31日、現場検証を一緒にすることを約束。

7月31日 10時半 
ふれあいの里 現場検証
※事故概要参照
30名以上の保護者、川に入る装備を万全としていた中、8人の容疑者たち 普段着
避難始まる直前から慎之介発見までの流れを再現
8月1日 愛媛県庁 
私設文書課
幼稚園を認可しておき、補助金を出しておきながら放置しておくのはおかしい。幼稚園への指導なり勧告をしてほしい。と訴えるも

「助言はできるが指導はできない。閉鎖命令もよっぽどのこと、例えば犯罪につながるような教育をしているとか、

そういうことがない限り発令できない。監査できるのは2~3年に一度の会計監査のみ。」

との回答

8月3日 13時 
吉川親族(妹)が
幼稚園へ
近藤恵津子元園長が「ほかの学年の保護者へは説明する必要ない」という姿勢に対し村上先生(当時)、篠田先生(当時)、寺西先生(当時)、近藤恵津子元園長と一人ずつ面談 保護者全員への説明を厳しく促す
8月4日 幼稚園から年中・年少保護者へ連絡 8月11日に年少・年中保護者の説明会をする旨 保護者に電話連絡
元園長近藤恵津子容疑者
吉川自宅マンションへ
慎之介に手を合わせたい、お引き取り願う。
8月6日 近藤恵津子元園長・他教諭ら

吉川自宅マンションへ

事態報告改善書を受け取る。近藤恵津子元園長は、電話で

「一生懸命頑張って作りました。夕方にお持ちしますが、時間は約束できない」と発言。そんな非常識なことは無い、時間を決めるように促す。18時にくることに。

8月7日 近藤恵津子元園長
電話
事故説明、謝罪ないまま「追悼ミサをしたい。」との連絡。→断る。
8月11日 年少・年中保護者 
説明会

吉川親族が
遺族として出席

容疑者たち項垂れ沈黙すること4時間。レチョン元理事長「一人だけ死んだ。仕方ない。死んだら何もできない」と発言。先生方、相変わらずうなだれているだけ。
8月13日 近藤恵津子元園長
電話
25日、保護者総会を開きたい。 → どんな趣旨で誰が出席し何を説明するのかを明記し案内を出すよう促す

保護者の会会長からは保護者へのアンケートをきちんと取るよう依頼

8月14日 幼稚園から案内状届く アンケートは子供がいないため対象外と考えたらしく同封されていなかった。
8月20日 死後ひと月
月命日
近藤恵津子元園長

村上玲子先生(当時)
越智あやり先生(当時)

篠田ひとみ先生(当時)

別宮瑠美先生(当時)

寺西佳代子先生(当時)

吉川自宅マンションへ

午前中 手を合わせたい→断る 総会の知らせ、アンケート未同封、対象外と言うことで必要ないと考えたのですね。総会は伺いますから、お引き取り下さい。

夕方 村上、寺西 再度マンションへ。いい加減、きちんと自分の思いだけでも話しなさい、保護者が一番望んでいることは

あなた方が何を考え思っているか、まずそこだと伝え、人間なら人間らしく対応するよう話し、お引き取り願う

8月23日 総会延期の手紙 午前中、ロザリオ学園事務員と電話 本部には事務員一人しかいない。
延期の話を聞くが、ふざけるなと叱責
事務員、体調が悪くこれから点滴を打ちにいかなければならいので、との理由で電話を切る。

待機中のパート藤井さおり先生(当時)、石川正子先生(当時)にも自分たちの責任をきちんと考えるよう伝える。
ロザリオ学園より速達で延期の案内届く。

責任者が体調不良のため、保護者総会は延期とする旨の内容。

夕方、幼稚園へ電話。現状を問う。

村上先生(当時)、寺西先生(当時)、マンションへ。

同じことを話す。自分たちで考えるように。この現状の酷さを。考えや思いを保護者にどう伝えるのかを。

8月24日 幼稚園へ 午前中9時市役所へ 総会の延期について、今までの対応について訴える。職員が園へ行ってくださることになる。

夫、幼稚園へ電話。保護者総会やるように。携帯へ連絡する旨依頼。

何の連絡もない。夕方5時過ぎ西条市の職員の方から幼稚園へ行かれたこと、明日の説明会はないと言われたことを聞く

幼稚園へ電話。叫び倒す。

幼稚園へ出向く。

「皆さん聞いてください。この幼稚園は人殺し幼稚園です。慎之介返せ。声なんか無くなったっていい。」と叫んだ。教諭たちは黙って土下座をしていた。

その後、連絡網にて総会の知らせが回った。

※この時、他の保護者も説得に幼稚園へ出向いている。

教諭たちは組織にすがる理由として「後ろ盾(ロザリオ学園本部)がなくなるのが怖い」としていたとのこと。

※現在ロザリオ学園の弁護士から送られたの通知では、この日の私の対応が「謝罪・土下座」の要請があったので土下座をした、という内容となっている。

8月25日 保護者総会 4時間。2時間で退席。近藤恵津子元園長挨拶「本部に逆らって今日総会を開きました。」

西条市の方も同席。

私は終始怒りをぶつけた。近藤恵津子元園長、9/3から二学期を始めることに躍起。

組織体制についての説明を求められると

「ロザリオ学園本部のことは私も分かりません。みなさんで連絡してください。」と発言。

夕方、5名の先生(村上先生(当時)、寺西先生(当時)、越智先生(当時)、別宮先生(当時)、篠田先生(当時))マンションへ。

もう来ないでほしいと伝える。みんな幼稚園辞めるべき。学園は狂ってます。

人間じゃないでしょう。園長、どうしようもなさすぎる。もう、話すことないので。と言いお引き取り願う。

8月27日 本部による総会の連絡 31日の金曜日に本部が説明会を開くとのこと。吉川の窓口を2名の保護者がしてくださることに。欠席する意向伝える。
8月31日 本部による説明会 モリオカゲンゾウという第三者が代理人として事故処理を担当するとのこと。ロザリオ学園でも修道会の人間でもない。報道機関に勤めた経験がある。と自己紹介。8月22日に本部より依頼された。弁護士ではない。9月3日より二学期を始めることを言いに来た。園長は31日付で辞表提出。受理されるかは未定。
9月1日 ふれあいの里 ふれあいの里責任者  西条市役所 担当職員  吉川 保護者にて話合。
9月3日 二学期開始 森岡源三氏が園長代理のようなことをしている。近藤恵津子元園長は名義貸し?状態で自宅待機。
9月4日 カトリック学校連合会より 愛光学園の理事ホアン氏(当時、ロザリオ学園の理事の一人であった)が連絡したいと言っている旨を聞く。夜に電話をして頂くよう依頼。
ホアン氏より電話

聖ドミニコ修道会
日本地区長

愛光学園
理事長

学校法人ロザリオ学園
現理事長

ファン・マヌエル・ゴンザロ・ベルモンテ氏

19:30電話で話す。まずは、人として会いたい。お詫びをしたいです。。とのことで9月8日土曜日に約束。
9月8日 ホアン氏来宅 10時、一人で来宅。現場へも行ったとのこと。組織としても人としても恥ずかしい。。これからきちんとしていきますとのこと。
9月10日 ホアン氏より電話 ロザリオ学園の理事長に就任したとのこと。9月12日に組織の説明をしたい。
9月12日 ホアン氏来宅 14時、一人で来宅。今後の学園組織、幼稚園について。理事長の任期は25年3月まで。 

スポーツ振興センターの災害給付金について話す。

 

死亡見舞金の処理を幼稚園が何の説明もなしに申請していた。

新居浜県病院で死亡診断書を発行してもらっている。

承諾もなしに発行していたことに抗議。病院側、9月21日に公文書にて回答と誠実な説明と謝罪。

 
 

※7月23日、事故直後に「何も話せません」としていた容疑者たちはスポーツ振興センターの死亡お見舞金の申請は、私たちへの説明なしに、無断で死亡診断書を発行し、申請を進めていた。
(このお見舞金は、幼稚園に支払われる。その後、被害者、遺族へは幼稚園から支払われるというシステム。私たちは、何も知らされておらず、スポーツ振興センターに連絡して、この事態が発覚。)

理由を問いただすと「センターから申請するよう連絡が来たので」と虚偽の説明をした。

センターへ事実確認をした内容は、「幼稚園から連絡をもらったので申請手続きの説明をした」との事。

この申請は無断での死亡診断書発行、無断申請ということで却下された。

9月21日 愛媛県立新居浜病院 関係者、公文書にて回答・謝罪で来宅
9月22日 ホアン氏より共済の件 速達で共済給付金手続きについての報告書を受け取る 
良かれと思ってした、という内容。 ロザリオ学園本部は、申請してはいけないと注意したとある。
10月6日 ホアン氏より共済の件報告書VOl2 自分たちで責任追及はできない。職員を信じて、今は警察の動向、結果を待ちたい。でも、真実を誠実に追究し吉川に寄り添いたい旨の書簡。

※この後、代理人を立て、ホアン氏からは、連絡が途絶える。

12月27日 マリア幼稚園 
現園長呼石志津子園長と
村上玲子先生(当時)との面談
学校保健法に基づき安全危機管理計画を実施していたのかを確認。→行っていないことが判明。

新しい園長が就任しても、ロザリオ学園本部へお伺いを立てる体制は変わっていない。
学園本部に電話連絡し「話せません」とすることがあった。

9月20日に就任した呼石園長に対し、幼稚園、組織、先生方について就任3カ月で何か気付いて点はあるかの問いに
呼石園長自身から「書面にて提出します」と約束。

※弁護士をたてているので、話せませんと言われたが、この翌日にロザリオ学園の代理人として弁護士から受任通知が届いた。

12月28日 ロザリオ学園 
弁護士受任通知
H22年に起きた「鼓膜損傷事故」の際に対応した弁護士 
 
※この事故は正式に保護者へ公表されることは無かった。その後も、安全危機管理対策をしていない。 
そして、H24年7月20日、お泊り保育で慎之介を死亡させるという事件を引き起こした。
1月16日 マリア幼稚園 現園長呼石園長より速達 年末12月27日の面談の際自ら約束した回答書簡のはずが「責任問題や補償の話は当学園の弁護士とお願いします」という内容の手紙であった。
  • 事故後、慎之介が亡くなってしまったことを、お泊まり保育に参加した保護者にすら幼稚園からは連絡が回っていない。保護者間で、情報共有。
  • 事故当日、ふれあいの里に迎えに来た保護者へ、事故に関する説明ないまま子供を引き渡し、何もわからない状態で帰宅した保護者はテレビ報道で慎之介の死亡を知る。
  • 保護者への説明責任を果たす気がなく、年中(B)年小(C)には関係ないと発言。
  • 事故検証、再三、事故報告書を作ることを依頼し続けた。
  • 警察は、話してはいけないなどと言っていない。
  • できない理由はすべて「本部」対応しているのは事務員の一人
  • H25年1月保護者確認 モリオカゲンゾウ氏は保護者に伝えた連絡先の電話を解約し消息は不明。
  • H24年9月20日付で呼石志津子園長就任 就任後の挨拶なしでスタート。保護者から自己紹介を依頼した。
  • H25年2月、呼石志津子園長から卒園式への参加の有無を弁護士の通知にて期限付で求められる。また、卒園のアルバムに慎之介の写真を載せたければ写真を提出すようにとの内容であった。
  • 上記、卒園式に対する対応について、吉川優子は幼稚園へ電話する。こんな非礼で残酷な対応するなら殺してくださいと泣いた。このことを、呼石園長は私の行為をクレーム扱いとしロザリオ学園本部へ報告した。
  • ホアン理事長は森岡源三氏を理事長補佐として再度起用、保護者へ直接対応することは無くなった。

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