2016年(平成28年)3月17日に行われた検察側の論告で
各被告らに罰金刑が求刑されました。
近藤恵津子被告(元園長)罰金100万円
村上玲子被告(元主任) 罰金50万円
越智亜里被告(お泊り保育責任者)罰金50万円
判決は、2016年5月30日に言い渡されます。
検察は、
被告らの安全に対する意識の低さと
事後対応の不誠実さに対しても、厳しい指摘をしました。
増水の予見についてですが
あの日、あの場所で、あの時間に増水が起こる、
そんなこと、誰も予見できません。
当たり前です。
そうではなくて、
あの地形で、あの頃の天候状態と、あの日の天候状態の中、
31名の子ども達を水遊びさせるための
安全計画、検討、準備を万全に行い実施したのか、ということが争点です。
川は増水の危険があるなどという事は
常識として、予見し検討すべきことで、
意見陳述でも述べましたけれども、職業人として当然の事なのです。
2016年3月28日に行われた最終弁論で
弁護側は、
「水文学などの専門家でもない幼稚園教諭に増水の予見はできない」
「気象の専門家でもない幼稚園教諭に天候の分析など不可能」
「後知恵バイアス」の影響を受けている検察の主張は誤っている
「ライフジャケットの着用に関する法令などもない」等々・・・
改めて、刑事責任はないと無罪を主張しました。
2時間以上かけて、4人の弁護人が入れ代わり立ち代わり、
当初から主張してきた内容を述べたという印象でした。
疑わしきは罰せずとか、推定無罪とか、
100人の犯罪者が無罪になろうとも無実の罪に泣く人を出してはならない、
ということなど、よく聞く言葉ではありますが、
今回の裁判は、過失責任が問われているわけですから、
弁護側の主張は、法律の素人からしますと
検察や警察を、ただ、表面的な批判をしているだけにしか見えませんでした。
裁判が始まるまで、建設的かつ科学的な主張がなされるのかと
僅かながらの期待をしていただけに残念でした。
とはいえ、刑事裁判、刑事弁護とは、こういうものなのだなという事と
理解することの難しさも、少し学べたように思います。
それでも、一般人としては、非常識だと思えるような事を
もっともらしく主張されることに対し、共感しようないですし
遺族としては、寒々しさを感じながら、この弁論に耐えたといったところです。
被告ら本人は、最後に紙切れ一枚、冒頭陳述の時と同じように
申し訳ないと思っている、などと述べていました。
この3カ月の裁判で改めて「事の重大さ」を認識した、
というような事も述べていましたけれど、
3年以上経過している中で、事実と向き合い考える機会はいくらでもありました。
私は、ずっと、「事の重大さ」と向き合い続けています。
彼女たちの言葉にも、やはり、何一つ、響くものはありませんでした。
この裁判から、幼稚園教諭として
「今まで事故がなかったから大丈夫だろう」
という根拠のない思いと考えのもと
厳しい自然環境下での保育活動を漫然と計画し
適切な下見(実地調査)、天候の確認や検討、
川で水遊びさせるための準備などについて
「何もしていなかった」「考えることすらしていなかった」
「安全に対する意識が低かった」
ということなど杜撰な実態が法廷でも明らかとなりました。
楽観バイアスの影響を大きく受けている典型例です。
後知恵バイアスを主張する前に、検証すべき重要事項です。
事故を防ごうとせず、適切な救助活動も行わず
慎之介の救急車へ同乗することさえもせず
越智被告は、乗せてもらえなかったといい訳をし、
村上被告は越智被告が乗ったと思っていたと
互いの行動を確認・理解できていなかった当時の状況も明らかとなり
とにかく、全てにおいて、
何もしていなかったにもかかわらず
「不幸で仕方ない事故」
という考えを誇示し続け、民事においても
だから責任などは無い、との主張を貫いています。
理事長のファン氏が求めていた正義とは、こういった事なのでしょうか。
このように、教諭らの人権というより「組織」は是が非でも守るという正義に対し、
自分たちで子どもの命を守る、子どもの人権を守るという意識は
大きく欠落していることが明確になった現状で、
亡くなった慎之介の母親として言えるのは
このような幼稚園には、子どもを通わせない、預けてはいけないという事です。
遺族としての意見です。
判決がどうなるかはわかりませんが
死を招いた結果を変えることなどできません。
裁判で示された事実と問われている内容について
考えを深めていきたいと思います。
◇検察側の論告から
自然学習の重要性は誰しもが認めるところであり、
未就学の園児が園外保育の課程において川遊びを体験することの
有意義性は否定しないものの、
それは、園児らの安全が確実に確保された上であることは言うまでもなく
園児らの安全確保が最も優先されるべきことは多言を要しない。
無知かつ無防備に園児らに川遊びをさせることは
本来最も要保護性の高い園児らを、殊更危険に晒しているに等しいものであり
その意味では、
本件事故は「いつか起こるべくして起きた」事故とも言い得るものである。
本件事故を辛い教訓とし、
二度と同様の事故を起こさせないためにも
被告人らを厳しく非難することが必要であり、
それを社会に対する警鐘とすべきである。