平成28年3月17日_意見陳述~慎之介の父より

2016年(平成28年)3月17日
松山地方裁判所41号法廷
(事件番号:平成26年(わ)第81号)
論告求刑の前に意見陳述をさせていただきました。

以下、吉川豊の意見陳述です。

吉川慎之介の父親であります、私、吉川豊より意見陳述をさせていただきます。

私達夫婦は今から18年前、平成10年5月に結婚いたしました。
結婚当初はなかなか子宝に恵まれず、
私達の祖父母、両親、親戚の方々など周りの親類縁者からも色々と気にかけられておりました。
病院なども受診したりして、色々な検査を受けておりましたが、
そのような環境の中で、結婚してからちょうど8年目、
平成18年9月7日に長男慎之介が誕生しました。
妻の妊娠が分かった時、そして慎之介が生れた瞬間、
その時の感動は今でも忘れることができません。
結婚8年目にしてようやく授かった長男慎之介の誕生は、
今まで気にかけてくれていた両親、兄弟からも祝福され、
皆、涙を流しながらその誕生を喜んでくれました。

そのような境遇で生まれてきた慎之介を、
これまで私たちは本当に愛情を注ぎながら育ててきました。
もちろん両親、兄弟、親戚一同からもたくさんの愛情を受けて慎之介は育っていき、
本当に素直な、気持ちの優しい男の子でした。

そのように大事に育ててきた息子の身に、
このような悲劇が訪れるとは夢にも思わず、ましてや保育を専門としている幼稚園が、
その屋外保育の最中に自分の息子を死に至らしめるなどということは考えもしませんでした。

この事件が起こった当初、息子が川に流されたと聞いたときは、
川で泳ぐなどということは幼稚園側から一切聞いておりませんでしたので、
一瞬、腑に落ちない点は多々ありました。
そして、慎之介の葬儀後に、初めて慎之介が亡くなった現場へ行き、
川の様子を見た瞬間、こんなところで子供を遊ばせていたのか、
ということを感じたことは今でも記憶に残っております。
河川敷でさえ大きな石や岩がゴロゴロと転がっている非常に危険なところでありますが、
実際に私も川の中に何度も入ってみた印象は、急に深くなる場所や、
苔で足が滑りやすい場所、そして急に流れが速くなるところといった場所がたくさんあり、
大人でさえも身に危険が生じるようなところで、ましてや脚力が弱く、
泳力などといったものが皆無に等しい幼ない園児達が安全に遊べるような場所ではない、
ということを現場に行った時に痛感しました。

葬儀後に初めてこのように危険極まりない場所に連れて行かれ、
息子が死亡したことが分かったのですが、
そのような環境の中で息子を死に至らしめたマリア幼稚園の教員たちを、
息子の葬儀に参列することを承諾してしまったこと、そのことは今でも悔やんでおります。
自分たちの愚行を知っていながら、のこのこと葬儀に参列した被告ら
マリア幼稚園の教員たちの無神経さにも、今更ながら驚かされます。

今回の事件はなぜ起こったのでしょうか、
なぜ慎之介が死ななければならなかったのでしょうか、
何が原因で慎之介は死んだのでしょうか。

この原因については、3人の被告たちにはもちろん、
マリア幼稚園に対して、私達が納得できる説明をするよう、
事件当初から何度も言い続けてきたことであります。

しかしながら幼稚園側から示された報告書の中身は遺族にとっては本当に希薄な内容で、
こちらが求めている本当の原因については触れられていないものでした。
そして、その報告書の説明についても、保護者が多く集まる保護者説明会の1度きりで、
私達遺族に対して個別に説明することなく、また、こちらが納得の出来る原因分析をした資料は、
今日までマリア幼稚園からは一切受け取っておりませんし、報告すらありません。

何度も言いますが、私達が、あなたたち3人やマリア幼稚園に求めていることは、
なにが原因でこのような事件が起きたのか、
その原因について遺族が納得できるものを報告してもらう、これだけです。
これは事件後、一貫して被告らに求めてきたことでありますが、
被告らは未だに、「本部の圧力が」とか、「園長に止められて」などと、
子どもが言い訳するような幼稚な理由を並べて、逃げ続けております。

また、これは少し信じられない事実でありますが、
事件後、その原因についてきちんと報告するように、被告らに言い続けていたのですが、
事件から一週間もたたない7月26日にマリア幼稚園の教員たちは、
県立新居浜病院へ赴き、慎之介の死体検案書を私達に無断で発行するよう求め、
死体検案書を入手しました。事件から6日後のことであります。
なぜ、そのように死体検案書を急いで入手しようとしたのか。
被告らやマリア幼稚園はその死体検案書を手に入れて、
日本スポーツ振興センターに災害共済給付金の手続きを行っていたのであります。

被告らは、何度も足を運び謝ろうとしたが、会ってもらえなかったなどと申しておりますが、
実はその裏では、死後6日という、かくも早い時期から「損害賠償問題」に真っ先に目を向け、
死体検案書を取得し、更に日本スポーツ振興センターに対して、
慎之介の死亡見舞金の支払請求をするなど、私達の全く知らないところで、
着々とその対策を講じ始めていたのです。
このことは、これまで説明責任を果たすよう被告らに求め続けてきた私達遺族にとって
精神的苦痛を味わされた、驚愕的な事実であります。

そのような行ないをしている被告らから、冒頭陳述で謝罪されたとしても、
その言葉を信用することなど出来る訳がなく、私達の心には何も響きません。
泣いて謝っていたとしても、心の中では舌を出している、としか思えないのです。

ましてや被告らは、本人尋問の中で、
「遺族・保護者にきちんと原因を説明できたと思う」などと申しておりますが、
それはとんでもない大間違いであります。説明責任など果たしてもらえていないのが現状です。

事件後、私達はその原因を知りたくて、
被告らマリア幼稚園や本部と言われるロザリオ学園に対して、
説明責任を果たすよう求めてきましたが、
いっこうにその要求に応えることなく無視しつづけられたので、
致し方なく自分たちで事件の原因究明を行うべく、大学教授や弁護士に依頼し第三者委員会も立ち上げました。
但し、第三者員会から何度も事故のいきさつや、
幼稚園の組織体制などをヒアリングしたいという意向を伝えましたが、
被告らはその問いかけに、一切答えようとしませんでした。

被告らは知らないと思いますが、当時、増水に巻き込まれ、
心に傷を負った園児たちは、当時の怖い体験を思い出し、今でも苦しんでいるのです。
しかしながら、保護者説明会において、
継続的に園児達の心のケアを行っていくと約束したにもかかわらず、
被告らマリア幼稚園はその約束を守っておりません。
本当にひどい話であります。

はたしてこの事件は何が原因で起こったのでしょうか。

慎之介は越智被告の手を離れてから、絶命するまで、
恐らく、想像を絶する苦しみを味わいながら死んでいきました。
僅か5歳の幼い息子に、その苦しみを与えた被告らのことは、
やはり今でも許せません。
この感情は一生続くことになると思います。

慎之介の遺影の前に立ち、慎之介のことを考えると、
どうしても被告らの顔が出てきてしまいます。
自分でもなぜだか分かりませんが、今でも必ず被告らの顔を思い浮かべてしまうのです。
近藤被告が園長でなければ、
村上被告が主任でなければ、
越智被告が計画していなければ、
そして被告ら3人が幼稚園教諭でなければ、
慎之介は今でも生きていたかもしれません。
私達3人、幸せな生活を送れていたかもしれません。無念であります。

被告たち3人、あなたたちは、いつまで私達を苦しめるのですか。
いつからこの事件と向き合おうとするのですか。

もう逃げ回るのはおよしなさい。
きちんとこの事件と向き合い、私達遺族に対して、
そして心に傷を負った子ども達やその保護者に対して
今回の事件がなぜ起こったのか、その原因をきちんと説明する、
その事が、あなたたちが一生をかけて行っていく「償い」なのです。

幼稚園教諭にとって一番大事なことは何でしょうか。
園児に読み書きを教えることでしょうか。
自然を体験させることでしょうか。
花火を見せることでしょうか。
スイカ割りを体験させることでしょうか。どれも違います。
幼稚園教諭にとって一番大事なことは、
「預かった子どもの命を守る」
それが教員たちに与えられた使命なのです。

公判を通じて分かったことは、
結局、被告ら3人は川の危険性を知りながら、
何もしていなかった。
そして、
無知であった。ということです。

無知は罪です。

ましてや子ども達を預かることを業務にしている被告らが、
何の安全対策も行わず、危機意識を持たない無知な行動は許されません。

もう一度、今回の事件が何故起こったのか、自分自身でその原因をよく考えなさい。
それを自分なりに書面でまとめて、私達に報告しなさい。
私はいつでも、あなたたちからの報告を受けます。
そして、私は自分自身納得いくまで、あなたたちに対して説明責任を求めます。
そのことは決して忘れないように。

そして最後に、あなたたちの行動、振る舞いは、慎之介がずっと見ています。
何年経っても慎之介は、あなたたちの姿を見ています。
そのことも決して忘れないように。

以上。