2012年7月20日
学校法人ロザリオ学園西条聖マリア幼稚園お泊り保育園児溺死事件
刑事裁判判決文
裁判所のサイト(裁判例情報)にて公開しています。
判決文
平成26(わ)81 業務上過失致死傷(認定罪名:業務上過失致死)
平成28年5月30日 松山地方裁判所
責任問題だけでなく、
子どもの安全確保、安全対策、組織体制などについて、
再発防止と事故の未然防止の観点から検証し、
保育・学校現場で教訓が活かされていくために
活用していただきたいと思います。
2012年7月20日
学校法人ロザリオ学園西条聖マリア幼稚園お泊り保育園児溺死事件
刑事裁判判決文
裁判所のサイト(裁判例情報)にて公開しています。
判決文
平成26(わ)81 業務上過失致死傷(認定罪名:業務上過失致死)
平成28年5月30日 松山地方裁判所
責任問題だけでなく、
子どもの安全確保、安全対策、組織体制などについて、
再発防止と事故の未然防止の観点から検証し、
保育・学校現場で教訓が活かされていくために
活用していただきたいと思います。
平成28年6月14日午前0時
控訴の期限でした。
村上被告、越智被告の無罪判決に対し検察は控訴しませんでした。
そして、
近藤被告に対する有罪判決についても
弁護人から控訴しないという連絡がありました。
刑事裁判は一審で終わりました。
判決文の詳細内容につきましては
お問い合わせフォームよりご連絡ください。
裁判で行われた尋問や捜査資料などから
多くの事実がわかりました。
慎之介が発見された時の状況や
遺体の状態などは、警察の実況見分や検視データから
理解することができました。
川の状態や、当日の天候、
子ども達が深いところでも、バラバラに遊ばされている様子
先生たちが、監督できていない状況が観光客の方のスナップ写真や
幼稚園が撮影していた写真、証人の方と本人尋問からもよくわかりました。
遺族としては、当日、何が起きたのか、事実を知るという事は
とても大切で重要な事です。
どのように流されたのか、という点は、越智被告の尋問を
後日纏めたいと思っていますが、事故の全体像は明確になりました。
本人尋問では
事故当時の安易で漫然とした行事進行の様子や、安全意識の欠落など
「安全の事は考えもしなかった」などという、被告らの正直な発言から
よく理解することができました。
そして、
近藤恵津子被告の尋問で告白した
過去の重大事故については驚きました。
検察官が、
マリア幼稚園で過去に発生した重大事故について質問した際に
20年ほど前、近藤恵津子被告が担任を務めていた頃に
起こしていた死亡事故について告白しました。
それはバスの事故。
実は、園児が死亡した重大なバスの事故だったと、当時を知る方から
保護者に情報提供がありました。
でも、もう、確認することができない事故内容だったので
事実確認ができていなかったのですが、近藤恵津子被告本人が、
法廷で告白をしたことで、事実だったことが分かりました。
もう一つ、うんていからの落下事故についても、初めて聞く話しでした。
近藤恵津子被告の心に、ずっと、罪の意識が残っていたから
一番に出てきたのではないかと感じています。
ブランコからの転落、鼓膜損傷に関しては、訴訟問題に発展していました。
その他にも、骨折や歯の損傷等々、事故が多発し続けた中、
今回の溺死傷事件が発生したのです。
偶然起きた事故などではありません。
すべて起こるべくして起きた事故です。
事故が発生しても、水面下で対応し無かった事にし続け
今回も、ロザリオ学園が対応してくれることになっているなどと
呑気な発言をしていた近藤恵津子被告ですが、
しかし、これまでがそうだったように、今回も、確かにそうなのでしょう。
大阪から弁護士の先生たちを6人も揃え、徹底的に争う姿勢を見せ
無罪を主張し続けることなど、被告ら個人の判断では出来ない事だと思います。
法人として、園長の資質を問うことなく、指導も教育もせずに
全てを無かった事にしてきた対応は、罪深いとしか言いようがありません。
そして、なぜ、近藤恵津子被告のような園長に不向きな人が
園長という責任の重い職務を続投できたのでしょうか。
今回の事件は、無かった事になど出来ませんが
それでも、やはり責任はないと言う独自のスタンスを守りとおすのなら、
これまでと何ら変わることはないと思います。
ほとぼりが冷め、風化して、忘れられた頃に、
犠牲になるのは子ども達です。
その事は、今回の事件が証明しています。
慎之介だけではなく、多くの子ども達が傷ついていたこと、
傷ついたことを、重く受け止めてほしいのです。
同じ幼稚園で、園児の死亡事故が2度も起きている、
訴訟に発展している事故も2件ある状態は異常です。
事実と現実と、真摯に向き合っていただきたいです。
安全管理に関し、組織体制をたて直す機会は
何度もあったにもかかわらず、見直してこなかった
しかしそれが、許される状態にあります。
制度や指針、法整備などが必要だと思います。
平成28年5月30日
刑事裁判の判決が出ました。
近藤恵津子被告 有罪 罰金50万円
越智亜里被告、村上玲子被告 無罪
安全対策を怠った事実について、全ての「責任」は
園を統括する園長にあるという判決でした。
刑事責任は、あくまでも個人の責任追及ですが
判決の内容は、組織としての責任や問題が問われたのだと
そのように理解しています。
安全の事など習っていない、誰も教えてくれなかった、
常識では考えられない急激な増水だった、予見などできない
準備していても事故は防げなかった、
ライフジャケットの装着は一般的でない等々・・・・
被告らの主張は全て却下されました。
裁判長は、被告の本人尋問で、
3人の被告に、それぞれ、どういった責任や権限があるのか
という事を質問し確認していました。
判決では、
幼稚園教諭は、
園児の生命・身体の安全を守る職務を行う者という事、
一人一人の安全意識の低さと
杜撰な組織・管理体制が事故を引き起こし、
慎之介の命が失われたという事実、
そして、責任の所在が明確に示されました。
越智被告に関しては、現在休職中ですが
安全など習っていないと主張していたのだから
もしも、万が一、復職するのなら、
子どもの安全について学び直してほしいと思います。
遺族としては、現状のまま復職などしていただきたくありません。
村上被告も、越智被告も、
無罪でよかったという内容の判決では無い、
という事を十分理解していただきたいです。
不起訴になった他の方々も同様です。
最後に、
判決とは別に、裁判長が近藤被告に対し
反省している事など、園長として周囲に伝える努力が必要だというような
指摘をされました。
誠実に対応していない現状を理解してくれたのだと感じました。
被告らは、保護者への説明は十分したなどと述べていましたが、
このような事を裁判長に言われてしまうような
状況、行動、対応についても、改めて、考えてほしいです。
判決をどのように受け止め、この教訓をどのように活かすのか、
本来ならば、まずは、
被告たちと引率した当時の教諭ら、
組織体制が杜撰だったことが明確となった西条聖マリア幼稚園、
学校法人ロザリオ学園が、向きあい考えるべきことだと思います。
「川が悪い」「不幸な事故」ではないのです。
裁判で、園長が有罪になって終わりではなく
司法が示した結果と
裁判で明らかとなった事実を活かすという事は
大きな課題の一つで、
社会が問われている事だと思っています。
平成28年5月31日付
刑事裁判に関する掲載記事
愛媛新聞:
西条・増水で園児死亡 元園長に罰金刑
朝日新聞:
西条・園児水死 元園長に有罪判決
命預かる重さ「認識を」
朝日新聞:平成28年5月31日付け
元園長に有罪判決、罰金50万円 愛媛の男児水死事故
読売新聞:
川遊びで5歳死亡 元園長罰金50万
毎日新聞:
幼稚園児水死 元園長に有罪
安易な学外活動に警鐘
毎日新聞:
愛媛・西条の園児水死 元園長に有罪 松山地裁判決
東京新聞:
元幼稚園長のみ有罪、愛媛 川遊び事故死判決、2人無罪
愛媛県西条市で2012年、
宿泊保育中に川遊びをしていた私立西条聖マリア幼稚園の園児らが流され、
吉川慎之介ちゃん=当時(5)=が死亡、2人がけがをした事故で、
業務上過失致死傷の罪に問われた当時の園長や教諭ら3人の判決で、
松山地裁は30日、
当時の園長近藤恵津子被告(75)のみに罰金50万円(求刑罰金100万円)の判決を言い渡した。
共に起訴された教諭ら2人は無罪(いずれも求刑罰金50万円)とした。
日野浩一郎裁判長は判決理由で、近藤被告に対し
「上流の天候を確認せず、遊泳場所の増水の危険性がないと判断したのは
園長として安易な態度だった」と指摘した。
(共同)
2016年(平成28年)5月30日
松山地方裁判所41号法廷 13時30分~
(事件番号:平成26年(わ)第81号)
刑事裁判の判決が言い渡されました。
近藤恵津子被告(元園長) 有罪 罰金50万円
村上玲子被告(元主任) 越智亜里被告(お泊り保育責任者)
両被告は無罪となりました。
判決文の内容は改めて報告をさせて頂きますが
被告らの「安全の事など習っていない」「予見など出来ない」
などという主張は全て却下され、
危険は予見できたし、ライフジャケットも装着すべきだった、
全ての責任は、園を統括する園長にあるというものでした。
私は、判決を真摯に受け止めています。
教訓を活かすという事を改めて考えていきたいと思います。
報道によると、
「予見可能性が認められ、刑事責任を追及することは納得できない」
ということで、控訴を検討しているようです。
園児水死で元園長に罰金判決 – NHK 四国 NEWS WEB
4年前、愛媛県西条市の川で幼稚園の行事で
水遊びをしていた当時5歳の男の子が増水した川に流され死亡した事故の裁判で、
松山地方裁判所は元園長に対し、
川の増水を予見できたのに必要な安全対策を怠った過失を認めたうえで、
罰金50万円を言い渡す一方、教諭2人には無罪を言い渡しました。
平成24年7月、西条市の加茂川で幼稚園の「お泊まり保育」で
水遊びをしていた園児らが増水した川に流され、
吉川慎之介くん(当時5歳)が死亡し、2人がけがをしました。
幼稚園の元園長、近藤惠津子被告(75)と元教諭2人が
川が増水する可能性を予見できたにもかかわらず、
ライフジャケットや浮き輪の準備など必要な安全対策を怠ったなどとして
業務上過失致死傷の罪に問われました。
これに対し弁護側は、
幼稚園の教諭がインターネットなどの断片的な情報をもとに
突然の増水を予測することは困難で、
今回の川遊びはライフジャケットが必要となるような危険なものではなかった
などと無罪を主張していました。
30日の判決で、
松山地方裁判所の日野浩一郎裁判長は、
川の増水を予見できたうえ、
危険を回避するために安全対策をとる義務はあったと過失を認めたうえで、
「降水が水位に影響するという常識ともいえる危険性を予見しなかったことは
安易な態度であり、非難されるべきだ」と指摘し、
元園長に罰金50万円を言い渡しました。
一方、元教諭2人については、それぞれ、
お泊まり保育で具体的にどのような役割を担当していたか明確でないなどとして、
無罪を言い渡しました。
判決について近藤被告の弁護人は、
「予見可能性が認められ、刑事責任を追及することは納得できない」
として、今後、控訴するかどうか検討するとしています。
判決を受け、亡くなった吉川慎之介くんの両親の
吉川豊さん、優子さん夫妻が松山市内で記者会見を開き、
「慎之介を亡くしてから、私たちの時間はずっと止まっていた。
大きな区切りであり、けじめの日になった」と述べました。
そして、
「裁判を通して幼稚園での個々の教諭の役割や職務権限のあいまいさなど、
園の、組織としての未熟さを感じた。親は幼稚園を信じて子どもを預けている。
今回の裁判が、幼稚園は子どもの命を預かっているのだという認識を
もっと強く持つきっかけになってほしい」と話しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終了
2016年(平成28年)3月17日に行われた検察側の論告で
各被告らに罰金刑が求刑されました。
近藤恵津子被告(元園長)罰金100万円
村上玲子被告(元主任) 罰金50万円
越智亜里被告(お泊り保育責任者)罰金50万円
判決は、2016年5月30日に言い渡されます。
検察は、
被告らの安全に対する意識の低さと
事後対応の不誠実さに対しても、厳しい指摘をしました。
増水の予見についてですが
あの日、あの場所で、あの時間に増水が起こる、
そんなこと、誰も予見できません。
当たり前です。
そうではなくて、
あの地形で、あの頃の天候状態と、あの日の天候状態の中、
31名の子ども達を水遊びさせるための
安全計画、検討、準備を万全に行い実施したのか、ということが争点です。
川は増水の危険があるなどという事は
常識として、予見し検討すべきことで、
意見陳述でも述べましたけれども、職業人として当然の事なのです。
2016年3月28日に行われた最終弁論で
弁護側は、
「水文学などの専門家でもない幼稚園教諭に増水の予見はできない」
「気象の専門家でもない幼稚園教諭に天候の分析など不可能」
「後知恵バイアス」の影響を受けている検察の主張は誤っている
「ライフジャケットの着用に関する法令などもない」等々・・・
改めて、刑事責任はないと無罪を主張しました。
2時間以上かけて、4人の弁護人が入れ代わり立ち代わり、
当初から主張してきた内容を述べたという印象でした。
疑わしきは罰せずとか、推定無罪とか、
100人の犯罪者が無罪になろうとも無実の罪に泣く人を出してはならない、
ということなど、よく聞く言葉ではありますが、
今回の裁判は、過失責任が問われているわけですから、
弁護側の主張は、法律の素人からしますと
検察や警察を、ただ、表面的な批判をしているだけにしか見えませんでした。
裁判が始まるまで、建設的かつ科学的な主張がなされるのかと
僅かながらの期待をしていただけに残念でした。
とはいえ、刑事裁判、刑事弁護とは、こういうものなのだなという事と
理解することの難しさも、少し学べたように思います。
それでも、一般人としては、非常識だと思えるような事を
もっともらしく主張されることに対し、共感しようないですし
遺族としては、寒々しさを感じながら、この弁論に耐えたといったところです。
被告ら本人は、最後に紙切れ一枚、冒頭陳述の時と同じように
申し訳ないと思っている、などと述べていました。
この3カ月の裁判で改めて「事の重大さ」を認識した、
というような事も述べていましたけれど、
3年以上経過している中で、事実と向き合い考える機会はいくらでもありました。
私は、ずっと、「事の重大さ」と向き合い続けています。
彼女たちの言葉にも、やはり、何一つ、響くものはありませんでした。
この裁判から、幼稚園教諭として
「今まで事故がなかったから大丈夫だろう」
という根拠のない思いと考えのもと
厳しい自然環境下での保育活動を漫然と計画し
適切な下見(実地調査)、天候の確認や検討、
川で水遊びさせるための準備などについて
「何もしていなかった」「考えることすらしていなかった」
「安全に対する意識が低かった」
ということなど杜撰な実態が法廷でも明らかとなりました。
楽観バイアスの影響を大きく受けている典型例です。
後知恵バイアスを主張する前に、検証すべき重要事項です。
事故を防ごうとせず、適切な救助活動も行わず
慎之介の救急車へ同乗することさえもせず
越智被告は、乗せてもらえなかったといい訳をし、
村上被告は越智被告が乗ったと思っていたと
互いの行動を確認・理解できていなかった当時の状況も明らかとなり
とにかく、全てにおいて、
何もしていなかったにもかかわらず
「不幸で仕方ない事故」
という考えを誇示し続け、民事においても
だから責任などは無い、との主張を貫いています。
理事長のファン氏が求めていた正義とは、こういった事なのでしょうか。
このように、教諭らの人権というより「組織」は是が非でも守るという正義に対し、
自分たちで子どもの命を守る、子どもの人権を守るという意識は
大きく欠落していることが明確になった現状で、
亡くなった慎之介の母親として言えるのは
このような幼稚園には、子どもを通わせない、預けてはいけないという事です。
遺族としての意見です。
判決がどうなるかはわかりませんが
死を招いた結果を変えることなどできません。
裁判で示された事実と問われている内容について
考えを深めていきたいと思います。
◇検察側の論告から
自然学習の重要性は誰しもが認めるところであり、
未就学の園児が園外保育の課程において川遊びを体験することの
有意義性は否定しないものの、
それは、園児らの安全が確実に確保された上であることは言うまでもなく
園児らの安全確保が最も優先されるべきことは多言を要しない。
無知かつ無防備に園児らに川遊びをさせることは
本来最も要保護性の高い園児らを、殊更危険に晒しているに等しいものであり
その意味では、
本件事故は「いつか起こるべくして起きた」事故とも言い得るものである。
本件事故を辛い教訓とし、
二度と同様の事故を起こさせないためにも
被告人らを厳しく非難することが必要であり、
それを社会に対する警鐘とすべきである。
2016年(平成28年)3月17日
松山地方裁判所41号法廷
(事件番号:平成26年(わ)第81号)
論告求刑の前に意見陳述をさせていただきました。
以下、吉川豊の意見陳述です。
吉川慎之介の父親であります、私、吉川豊より意見陳述をさせていただきます。
私達夫婦は今から18年前、平成10年5月に結婚いたしました。
結婚当初はなかなか子宝に恵まれず、
私達の祖父母、両親、親戚の方々など周りの親類縁者からも色々と気にかけられておりました。
病院なども受診したりして、色々な検査を受けておりましたが、
そのような環境の中で、結婚してからちょうど8年目、
平成18年9月7日に長男慎之介が誕生しました。
妻の妊娠が分かった時、そして慎之介が生れた瞬間、
その時の感動は今でも忘れることができません。
結婚8年目にしてようやく授かった長男慎之介の誕生は、
今まで気にかけてくれていた両親、兄弟からも祝福され、
皆、涙を流しながらその誕生を喜んでくれました。
そのような境遇で生まれてきた慎之介を、
これまで私たちは本当に愛情を注ぎながら育ててきました。
もちろん両親、兄弟、親戚一同からもたくさんの愛情を受けて慎之介は育っていき、
本当に素直な、気持ちの優しい男の子でした。
そのように大事に育ててきた息子の身に、
このような悲劇が訪れるとは夢にも思わず、ましてや保育を専門としている幼稚園が、
その屋外保育の最中に自分の息子を死に至らしめるなどということは考えもしませんでした。
この事件が起こった当初、息子が川に流されたと聞いたときは、
川で泳ぐなどということは幼稚園側から一切聞いておりませんでしたので、
一瞬、腑に落ちない点は多々ありました。
そして、慎之介の葬儀後に、初めて慎之介が亡くなった現場へ行き、
川の様子を見た瞬間、こんなところで子供を遊ばせていたのか、
ということを感じたことは今でも記憶に残っております。
河川敷でさえ大きな石や岩がゴロゴロと転がっている非常に危険なところでありますが、
実際に私も川の中に何度も入ってみた印象は、急に深くなる場所や、
苔で足が滑りやすい場所、そして急に流れが速くなるところといった場所がたくさんあり、
大人でさえも身に危険が生じるようなところで、ましてや脚力が弱く、
泳力などといったものが皆無に等しい幼ない園児達が安全に遊べるような場所ではない、
ということを現場に行った時に痛感しました。
葬儀後に初めてこのように危険極まりない場所に連れて行かれ、
息子が死亡したことが分かったのですが、
そのような環境の中で息子を死に至らしめたマリア幼稚園の教員たちを、
息子の葬儀に参列することを承諾してしまったこと、そのことは今でも悔やんでおります。
自分たちの愚行を知っていながら、のこのこと葬儀に参列した被告ら
マリア幼稚園の教員たちの無神経さにも、今更ながら驚かされます。
今回の事件はなぜ起こったのでしょうか、
なぜ慎之介が死ななければならなかったのでしょうか、
何が原因で慎之介は死んだのでしょうか。
この原因については、3人の被告たちにはもちろん、
マリア幼稚園に対して、私達が納得できる説明をするよう、
事件当初から何度も言い続けてきたことであります。
しかしながら幼稚園側から示された報告書の中身は遺族にとっては本当に希薄な内容で、
こちらが求めている本当の原因については触れられていないものでした。
そして、その報告書の説明についても、保護者が多く集まる保護者説明会の1度きりで、
私達遺族に対して個別に説明することなく、また、こちらが納得の出来る原因分析をした資料は、
今日までマリア幼稚園からは一切受け取っておりませんし、報告すらありません。
何度も言いますが、私達が、あなたたち3人やマリア幼稚園に求めていることは、
なにが原因でこのような事件が起きたのか、
その原因について遺族が納得できるものを報告してもらう、これだけです。
これは事件後、一貫して被告らに求めてきたことでありますが、
被告らは未だに、「本部の圧力が」とか、「園長に止められて」などと、
子どもが言い訳するような幼稚な理由を並べて、逃げ続けております。
また、これは少し信じられない事実でありますが、
事件後、その原因についてきちんと報告するように、被告らに言い続けていたのですが、
事件から一週間もたたない7月26日にマリア幼稚園の教員たちは、
県立新居浜病院へ赴き、慎之介の死体検案書を私達に無断で発行するよう求め、
死体検案書を入手しました。事件から6日後のことであります。
なぜ、そのように死体検案書を急いで入手しようとしたのか。
被告らやマリア幼稚園はその死体検案書を手に入れて、
日本スポーツ振興センターに災害共済給付金の手続きを行っていたのであります。
被告らは、何度も足を運び謝ろうとしたが、会ってもらえなかったなどと申しておりますが、
実はその裏では、死後6日という、かくも早い時期から「損害賠償問題」に真っ先に目を向け、
死体検案書を取得し、更に日本スポーツ振興センターに対して、
慎之介の死亡見舞金の支払請求をするなど、私達の全く知らないところで、
着々とその対策を講じ始めていたのです。
このことは、これまで説明責任を果たすよう被告らに求め続けてきた私達遺族にとって
精神的苦痛を味わされた、驚愕的な事実であります。
そのような行ないをしている被告らから、冒頭陳述で謝罪されたとしても、
その言葉を信用することなど出来る訳がなく、私達の心には何も響きません。
泣いて謝っていたとしても、心の中では舌を出している、としか思えないのです。
ましてや被告らは、本人尋問の中で、
「遺族・保護者にきちんと原因を説明できたと思う」などと申しておりますが、
それはとんでもない大間違いであります。説明責任など果たしてもらえていないのが現状です。
事件後、私達はその原因を知りたくて、
被告らマリア幼稚園や本部と言われるロザリオ学園に対して、
説明責任を果たすよう求めてきましたが、
いっこうにその要求に応えることなく無視しつづけられたので、
致し方なく自分たちで事件の原因究明を行うべく、大学教授や弁護士に依頼し第三者委員会も立ち上げました。
但し、第三者員会から何度も事故のいきさつや、
幼稚園の組織体制などをヒアリングしたいという意向を伝えましたが、
被告らはその問いかけに、一切答えようとしませんでした。
被告らは知らないと思いますが、当時、増水に巻き込まれ、
心に傷を負った園児たちは、当時の怖い体験を思い出し、今でも苦しんでいるのです。
しかしながら、保護者説明会において、
継続的に園児達の心のケアを行っていくと約束したにもかかわらず、
被告らマリア幼稚園はその約束を守っておりません。
本当にひどい話であります。
はたしてこの事件は何が原因で起こったのでしょうか。
慎之介は越智被告の手を離れてから、絶命するまで、
恐らく、想像を絶する苦しみを味わいながら死んでいきました。
僅か5歳の幼い息子に、その苦しみを与えた被告らのことは、
やはり今でも許せません。
この感情は一生続くことになると思います。
慎之介の遺影の前に立ち、慎之介のことを考えると、
どうしても被告らの顔が出てきてしまいます。
自分でもなぜだか分かりませんが、今でも必ず被告らの顔を思い浮かべてしまうのです。
近藤被告が園長でなければ、
村上被告が主任でなければ、
越智被告が計画していなければ、
そして被告ら3人が幼稚園教諭でなければ、
慎之介は今でも生きていたかもしれません。
私達3人、幸せな生活を送れていたかもしれません。無念であります。
被告たち3人、あなたたちは、いつまで私達を苦しめるのですか。
いつからこの事件と向き合おうとするのですか。
もう逃げ回るのはおよしなさい。
きちんとこの事件と向き合い、私達遺族に対して、
そして心に傷を負った子ども達やその保護者に対して
今回の事件がなぜ起こったのか、その原因をきちんと説明する、
その事が、あなたたちが一生をかけて行っていく「償い」なのです。
幼稚園教諭にとって一番大事なことは何でしょうか。
園児に読み書きを教えることでしょうか。
自然を体験させることでしょうか。
花火を見せることでしょうか。
スイカ割りを体験させることでしょうか。どれも違います。
幼稚園教諭にとって一番大事なことは、
「預かった子どもの命を守る」
それが教員たちに与えられた使命なのです。
公判を通じて分かったことは、
結局、被告ら3人は川の危険性を知りながら、
何もしていなかった。
そして、
無知であった。ということです。
無知は罪です。
ましてや子ども達を預かることを業務にしている被告らが、
何の安全対策も行わず、危機意識を持たない無知な行動は許されません。
もう一度、今回の事件が何故起こったのか、自分自身でその原因をよく考えなさい。
それを自分なりに書面でまとめて、私達に報告しなさい。
私はいつでも、あなたたちからの報告を受けます。
そして、私は自分自身納得いくまで、あなたたちに対して説明責任を求めます。
そのことは決して忘れないように。
そして最後に、あなたたちの行動、振る舞いは、慎之介がずっと見ています。
何年経っても慎之介は、あなたたちの姿を見ています。
そのことも決して忘れないように。
以上。
2016年(平成28年)3月17日
松山地方裁判所41号法廷
(事件番号:平成26年(わ)第81号)
論告求刑の前に意見陳述をさせていただきました。
以下、吉川優子の意見陳述です。
私にとって、平成24年7月20日は、ずっと昨日です。
私は、慎之介の死と向き合う時、おかあさーん!
と元気いっぱいな笑顔で走り寄って抱きついてくる慎之介の姿と、
一緒に過ごした楽しい日々を思い出し、深い悲しみを受止めます。
慎之介の最後の姿は、目は半開きで、
左肩に激しくぶつけたような黒い痕があり、肺は吸い込んだ水で満たされ、
顔や体にも、岩にぶつかりながら流されていったのだろうと思われる痣や傷が多くありました。
そんな痛ましい状態でありながらも、
まるで微笑んでいるかのような表情のまま、刻々と腐敗し、
火葬場で焼かれたあと、慎之介は、真白な骨になりました。
これが、慎之介に与えられた現実です。
絶望的な状態の中、
近藤被告、村上被告、越智被告たちの、理解に苦しむ対応が続きました。
近藤被告は、搬送先の病院で、慎之介の遺体を前に、まるで他人事のように、
「可哀そうに、冷たかったろうに」などと言い、
村上被告、越智被告らは、無言のまま立ち去りました。
次の日、近藤被告から、
「松山から、わざわざ理事長がお見えになっているから、お宅に伺いたい」
との連絡ありましたが、お断りをし、葬儀の案内をしました。
その後、私達から説明を求めるまで、被告たちからは、何の連絡もありませんでした。
事故の説明を求める私たちに対し、
村上被告は「本部が、保険会社が、話すなと言っている、警察が捜査している」などの理由で、
「何もお話しできない。自分が話すと、他の先生に迷惑がかかる」と言われたので、
「組織としてではなく、人として対応してください、マリア幼稚園に入園させたことを後悔させないでください」
と、お願いをしましたが、「気持ちは分かりますが」と、一蹴されました。
事故後10日目に、やっと開催された保護者会でも、
事故については話せないという説明から始まり、
保護者の質問に対し沈黙ばかりが続き、5時間もかかった末に、
私達保護者は、「一緒に、このマリア幼稚園を立てなおしましょう」とお願いをしましたが、
結局、被告らはこの思いにこたえてはくれませんでした。
私達は保護者と共に、事故の再発防止のため、独自に原因究明を行ってきましたが、
その調査への協力も裁判を理由に断られ、被告らとは、この刑事裁判で再会することになりました。
私は、先生達と一緒に向き合えるのではないかという、
針の孔ほどの希望を捨てきれずにいましたが、被告らは、
私と同様に、この事実と向き合えるような人間ではないという事を、
この裁判で確信し、失望いたしました。
裁判中、居眠りをしているように見えた近藤被告や、
飄々とメモをとる村上被告、越智被告らの、この場をやり過ごすことしか考えていない姿を見て、
私は、示される事実を、慎之介の声だと思い、全てを受止めていただけに、情けなくなりました。
慎之介は、結婚8年目に授かった大切な命でした。
平成18年9月7日、3660グラムの大きな男の子が産声をあげました。
大変なお産だったので、その声を聞いたとき、
慎之介が生きていることに心から安堵したのと同時に、
慎之介の母親として生きていく責任を深く実感しました。
翌年、慎之介が1歳の誕生日を迎える前に、
夫の転勤に伴い愛媛県西条市へ転居することになりました。
神奈川県出身の私達夫婦にとって、知らない土地での新しい生活と初めての育児は、
とても不安でしたが、慎之介を通じて、沢山の出会いに恵まれました。
子どもたちとの集団生活や、多年齢の子どもたちとのふれあいをさせたいと考え、
慎之介が3歳を迎える前に、幼稚園への入園を検討し始めました。
西条市内の幼稚園を全て見学し、通える範囲の幼稚園には、何度も通い、
子どもたちの様子や慎之介の様子を見て、
学校法人ロザリオ学園西条聖マリア幼稚園に、満三歳児入園をさせることを決めました。
平成22年10月の終わりに入園し、慎之介の担任は、年中まで村上玲子被告でした。
入園当初、慎之介は、「れいこせんせい」と言えず、「れんこせんせい」とか、
「れんこんせんせい」などと呼んでいました。
私は、そんな慎之介や子どもたちの成長を、先生や保護者と共に見守り、育てていると信じていました。
幼稚園を検討する際、どの幼稚園も「安全は確保されている」という事は大前提の上、見学をさせて頂きました。
幼稚園に子どもを通わせるという事は、保護者としての責任を、幼稚園の先生方に委ねることになります。
信頼していなければ、大切な我子の命を預けることなどできませんし、通わせることなどできません。
近藤被告、村上被告、越智被告は、
安全の事などは習っていない、教えてもらっていない、誰も教えてくれなかったとのことでしたが、
通常、社会人は、与えられた仕事に応じて、自分に足りない知識や技術を自ら習得し、
その責任を全うすることで、社会的信頼と評価を得ることが出来ます。
そして、職業人として、社会の中での役割を担うために、研鑽をつみ続けることは、
必要不可欠なことであって、当然の事だと理解しています。
被告らには、幼稚園教諭という職業人として、
大前提にあるはずの「子どもの命を守る」という理念が、大きく欠落していたことと、
社会人としても、あまりの非常識さと無知さ、無責任さが露呈し、
私は、このような人間を信頼し、慎之介の命を託していたのかと、愕然と致しました。
マリア幼稚園が大好きで、先生たちの事も大好きで、先生たちを純粋に信じていた慎之介は、
マリア幼稚園のお泊り保育で無残な溺死を経験し、未来を失いました。
被告らは、申し訳ないなどと謝罪していましたが、何も響きませんでした。
どんなに時が流れても、この凄惨な事実は、
何一つ変わることなく在り続け、許される日など、おとずれることはありません。
私や慎之介をはじめ、子どもたちや保護者の大半は、
ふれあいの里へ行った事はありませんでした。
初めて訪れる場所で、初めて親から離れ宿泊をするということは、
子どもたちにとって、大きな挑戦だったのです。
慎之介と毎日、一人で寝れるかな、お母さんいなくても大丈夫かなと、
お泊り保育について話をしていました。
慎之介は、お友達と一緒に寝ることを楽しみにしている様子でした。
そして、お泊り保育当日、家を出る時に、慎之介は私にこう言いました。
「おかあさん、ごめんね、きょう、ぼく、おとまりなんだ。
さみしくない?ひとりでねれる?」
この日、夫は前日から熊本へ出張で留守したので、私を心配してくれたのだと思います。
私は慎之介を、ぎゅっと抱きしめてこたえました。
「慎ちゃん、ありがとう。お母さんは大丈夫。
明日、お父さんと幼稚園にお迎えに行くからね。慎ちゃんは大丈夫かな。」
慎之介は、いつもの笑顔でこたえました。
「ぼくはだいじょうぶ!しゅっちょういってきます!」
これが、最後の会話となりました。
慎之介の葬儀では、子どもたちや保護者の方をはじめ多くの方が、
慎之介に最後のお別れをして下さいました。
近藤被告は当時のロザリオ学園の理事長や関係者と、
いつの間にか、参列者の席に堂々と座っている姿がありました。
村上被告、越智被告も、他の教諭らと共に参列していましたが、何の挨拶もありませんでした。
夫が、葬儀の最後に、参列者の皆さんへ挨拶をしました。
「なんでぼく、死んじゃったんだろうと、慎之介が一番びっくりしていると思います。
私は、山林事業に携わっており、自然に対する知識もあるので、
このような形で息子を失い、とても悔しく思います。
家族でプールや川や海へ行くときは、ライフジャケットやアームヘルパーをつけて遊んでいました。
このような事故が二度と起きないためにも、私は、事故の原因究明を徹底的に行います」
この言葉にこたえてくれたのは、保護者と子ども達でした。
葬儀の次の日、私達が、現場へ向かい、手探り状態で原因究明を始めていた時に、
当時の保護者会の会長さんから、子どもたちの記憶が薄れてしまう前に、
子どもたちから話を聞いて、事故の体験レポートをつくりたいという連絡を受けました。
保護者の皆さんたちは、たった一日で、現場で検証するための準備をしていました。
卒園児の保護者の方や、他の学年の保護者の方をはじめ、
ふれあいの里のスタッフの方々や消防団の方、通報してくださった観光客の方など、
多くの方が、この事故の原因究明に協力をして下さいました。
子ども達の中には、慎之介の死について自分を責めたり、
恐怖心から、夜眠れなくなり、泣き出しだしてしまう子や、
お泊り保育には行っていないと、心を閉ざした子もいました。
あの日の事を、急に、話しだす子どもたちもいます。
慎之介も唇は真っ青でしたが、寒がっていたお友達に「だいじょうぶ?」と声をかけていたことなど、
最後に交わしたと思われる会話を聞きました。
子どもたちは、全てを見ています。
川の様子、友達が流されていく様子、先生たちの会話や行動、危険に晒されながらも助かった事、
一緒にいた慎之介が死んだという事は、子ども達が経験した、消せることのできない悲惨な事実なのです。
そして、大人たちがこの事件と事実に、
どのような姿勢で、どのように向きあったのかを、幼くともしっかりと見つめています。
子ども達に、慎之介のような経験をさせてはなりません。
不幸で仕方なかった事故、失われても仕方ない命など、何処にも存在していません。
事故や傷害は、仕方ないと諦めるものではなく、人智を尽くして未然に防ぐものである、
という理解は、一般企業や先進国では常識となっています。
子どもは、一人の人であり、社会にあたたかく向かい入れること、
その命を守るということは大人の責務です。
大人に守られるということは、子どもの特権なのです。
子どもたちが、大人の無知や無責任の犠牲にならないために、
立場を超えて、
子どもたちの命を守ることを、考えていただきたいと思います。
この事件の教訓が活かされることを心から願います。
以上です。
2016年(平成28年)3月3日、4日の二日間
松山地方裁判所41号法廷にて被告人尋問が行われました。
(事件番号:平成26年(わ)第81号)
刑事裁判、被告本人尋問が終了しました。
尋問詳細は、改めて、纏めます。
まずは所感を。
とても、恐ろしい実状が明らかになったと思っています。
近藤惠津子被告、村上玲子被告、越智亜里被告
涙ながらに申し訳なかったなどと謝罪していましたが
何も響きません。
安全については習っていないし、
現場の川が危ないと教えてもらっていないから
責任はないんだ、などと主張していますが
保育者、教育者として失格と言わざるを得ません。
近藤惠津子被告、村上玲子被告、越智亜里被告の
証言の細かい部分に見られる小さな嘘を見抜くたびに
気分が悪くなりました。
今回、私の家族が傍聴に来ていました。
4日の尋問二日目も、西条から保護者の友人がきてくれていました。
愛媛大学の小佐井先生も傍聴してくださいました。
尋問終了後、
法廷を出た廊下で皆さんが待っていてくれました。
私は、緊張がゆるんでしまい、悔しい思いを抑えきれず
ふざけるなと泣いてしまいました。
慎之介は、殺されたも同然ではないかと。。
保育、教育現場において
このような事件と対応が繰り返されてはなりません。
明らかになった事実をもとに
事故事件の再発防止、未然防止への取り組みに
繋げていけるよう、心を整理し、
裁判を通じ最後まで現実と向き合いたいと思います。
次回は、3月17日論告求刑です。
被害者参加人として、意見陳述をさせて頂きます。
しかしながら、驚いたことに、
弁護人から内容によっては異議を申し立てる、
事前に見せろなどと言われました。
私達のような素人の発言が、しかも心情を述べる「意見陳述」が
裁判の判断に左右されるはずもないと心得ておりましたが
遺族に対し法律のプロから「異議」とは・・・とても残念です。
被害者である慎之介や子どもたちよりも
立派な先生方に手厚く守られている被告の権利の方が絶大ではありませんか。
被害者参加人の限られた権利ですので、しっかりと意見陳述させて頂きます。
この刑事裁判を迎えるために、
捜査資料を読み込んだり、
検死データを何度も見て、慎之介の最後の声を探しながら
心の準備をしてきました。
ここまで、よく踏ん張ったと思います。
最後まで、頑張ります。